秀和レジデンスとは
先駆けのマンション-はじまりは東京オリンピックの年から
秀和レジデンスとは、昭和32年設立の秀和株式会社(しゅうわ)が建設し販売した、一連のマンションにつけられた名称です。第1号の秀和レジデンスは、1964年(昭和39年)3月築の秀和青山レジデンス。この年は東京オリンピックの年です。 高度経済成長期の最中、オリンピックの特需もきっかけに 好景気に湧いていた日本では、 政府の持ち家政策の推奨とともにマンションが建ち始めます。
その中でも、この秀和青山レジデンスは先駆けの一つと呼べるマンションで、 秀和の特徴である、青い屋根と白いうろこの外観はまだありません。 設計は、駒沢オリンピック公園の体育館の設計で知られる建築家 芦原 義信氏。 築年数は経っているものの、ホテルライクな贅沢なエントランスは今も健在です。 古さを感じない日本を代表するヴィンテージマンションといえるのではないでしょうか。
1962年に整備された区分所有法を背景に、 「マンションの一室も資産として認められる」という位置づけが明確になり、 住宅ローンを利用した購入への可能性が開かれました。今では当たり前の形となったいわゆる「マンション」や「団地」の黎明期に現れたのが 秀和レジデンスシリーズです。
このように現在の秀和レジデンスが、恵まれた立地にたたずんでいることが多いのは、 マンションが各地に乱立し始める時代に、先駆けていたからなのです。
※区分所有法
第一条 一棟の建物に構造上区分された数個の部分で独立して住居、店舗、事務所又は倉庫その他建物としての用途に供することができるものがあるときは、その各部分は、この法律の定めるところにより、それぞれ所有権の目的とすることができる。
竣工当時のパンフレット
時は下って、昭和58年築の秀和大倉山レジデンスの分譲当時のパンフレットを見てみると、 今でも新鮮な印象を受けます。 ホテルの様な車付けのあるエントランスや、秀和ならではの外観は「美しい生活が見えてきました。」というコピーと共に 当時も多くの人たちを魅了した事でしょう。 当時秀和が建つ予定地には、「もうしばらくお待ちください。秀和レジデンス」 というお知らせボードも出ていたほどの人気の高さだったという話もうなずけます。
秀和デザインの秘密は、社長の遊び心にあり
秀和=小林茂社長。
秀和を語るうえで、絶対に欠かせない人物です。秀和の独特のデザインのほとんどは、小林茂社長のフリーハンドから生み出されていたとのこと。
創業者である小林茂は1927年(昭和2年)東京に生まれ、家業の木工家具製造・販売を経て、1957年(昭和32年)に秀和を設立しました。ちなみに、アイデアの基盤には 飲み屋のホステスさんのアドバイスがあるとか、ないとか。一見、どれも同じように見える秀和レジデンス。しかし実はひとつひとつ、個性があるのです。
たとえば、秀和第2南平台レジデンスはお花のマークがトレードマーク。エントランスだけではなく、内廊下の窓など、いたるところに、お花のマークが見られます。
このような、ちょっとした遊びココロも秀和=小林茂社長の魅力のひとつですね。
秀和の特徴
秀和レジデンスといえば、南欧風の青い瓦屋根に白い塗り壁、鉄製柵のバルコニー。特徴を挙げれば「ああ、見たことがある!」と思われる方も多いと思います。そんな唯一無二の特徴の数々をマニア視点でまとめました。
執筆してくださったのは、東京ビルさんぽのメンバー・河西葉子さん。彼女とは、秀和マニア代表の谷島が参加した 『いいビルの世界 東京ハンサム・イースト』刊行記念スライドトークイベントで出会い、彼女の素晴らしき秀和愛に触れ、ぜひ皆様にもこの感動をお伝えしたいと連載をお願いしました。
マニアな視点で紐解く、秀和レジデンスの細かなこだわりや、特徴をぜひご覧ください。
EcoDecoスタッフblog:「秀和レジデンス/秀和図鑑シリーズ」